東京地方裁判所 昭和19年(ワ)168号 判決
原告 小杉田儀八
被告 第一石油株式会社
一、主 文
被告は、原告に対し金一万一千八百円、並びに、これに対する昭和十九年三月一日以降みぎ金員の完済に至るまで、年五分の割合による金員の支払をせよ。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用は、すべて被告の負担とする。
この判決は、原告において担保として金四千円を供託するときは、かりにこれを執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は、「被告は、原告に対し金一万一千八百円、並びに、これに対する、昭和十九年三月一日からみぎ金員の完済まで、年六分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求原因として、
「一、原告は、屋根油製造を業とするものである。被告は、東京都内に本店を置き、秋田県南秋田郡男鹿中村五里合村地内に鉱区のある石油試掘権を有し、同県同郡脇本村に男鹿鉱業所と称する事業所を設け、昭和十三年十月頃から石油の採掘・販売を業とする株式会社である。
被告のみぎ鉱業所には、その開設当初から訴外山崎政次及び三浦一二らが勤務し、山崎は、同鉱業所長としてその外部関係その他事業経営に関し被告を代理する一切の権限を委任され、昭和二十四年三月現在なお被告の被用者であり、また三浦は、前述試掘権が前権利者佐藤徳蔵の経営にかかる当時から同人に雇われてその事業に従事し、被告がこれを買収した後は、昭和十九年五月一日に辞任するまで引き続き被告に雇われて前同鉱業所主任兼技術員として、同所の会計その他一切の業務に従事していたものである。
二、原告は、昭和十七年七月十二日頃に被告を代理する山崎政次及び三浦一二との間において、被告が前同鉱区においてとる泥油を代金石当り金三十円で、毎月三十石づつ買い受け、被告は、これを国鉄線脇本駅まで搬出して引き渡す旨の契約を結んだので、原告は、三浦に契約保証金名義で同日金一万円を、さらに同年八月二十八日頃山崎に前渡金名義で金一千八百円を各交付した。しかるに、その後被告は、みぎ契約を履行しない。
三、しかるに、山崎政次及び三浦一二の両名は、昭和十七年十月頃に亀戸警察署に検挙され、翌昭和十八年七月頃に東京区裁判所で、前述原告との契約を含むその他の所為について、詐欺罪として有罪の判決を受け、該判決は、その頃確定した。かくして、その間に原告の探知し得た事情は、つぎのとおりである。
これよりさき被告は、後述のように、その設立手続に瑕疵があつたこと、資金難に陥つたこと、取締役土方五朔及び同土方復丸の両名が昭和十五年九月頃に愛知県警察部に検挙されたこと等の事由によつて、同年十一月三日に解散決議をし、現に清算手続中のものであるが、実際は、何らその手続を進行しないで、前役員中の一、二の者が引続き事業の執行に当り、前述の男鹿鉱業所の経営もまた、被用者である山崎及び三浦らによつて、二、三十人の人夫を使役して、解散後も従前と同様に行われていた。しかも、昭和十七年当時における前述鉱区の泥油採油量は、日産五斗を出でず、その全部を被告の自由に供する外、到底他に販売するに足る余裕がなかつたのである。
しかるに、山崎及び三浦両名は、被告の前述鉱業所経営上の債務支払又はその経費の支弁にあてるため、共謀して、泥油の売買に名をかつて原告から金員を騙取しようと企て、原告との契約の協議に際して、前段に述べる被告会社及び鉱業所の事情を秘匿し、しかも、同鉱業所に日産十石以上の採油能力があり、原告にだけ泥油を供給する旨虚偽の事実を申し向けた結果、原告は、被告が清算中であることその他みぎに述べる事情を知らず、山崎らの言を誤信して、前述の契約を結んだものであつて、それは、被告の代理人の詐欺によつて為された意思表示である。
四、かりに、山崎らが被告を代理して、前述の契約を締結する権限を有しなかつたとしても、被告は、昭和十六年八月中に三浦に対し前述鉱区及び鉱業所の管理を委任した事実があり、しかも三浦らは前述のとおり、原告との契約の当時に人夫を使役して鉱区及び鉱業所の経営に従事し、人夫に対する給料の支払、並びに、みぎ経営上の必要品の購入等の事務を取り扱つていたので、原告は、三浦が被告を代理して泥油を売却する権限を有するものと信ずべき正当の理由を有したものである。従つて、被告は、三浦が代理人と称して原告と結んだ売買契約及び金員の受領について、その責を負うべきである。
五、よつて原告は、昭和二十三年二月十四日の本件口頭弁論期日において、前述二の契約を被告の代理人の詐欺による意思表示としてその取消の意思表示をした。その結果として、さきに原告が前述の契約の有効を前提として山崎らに交付した金員は、なんらの法律上の原因がないのに原告の損失において被告を利得させたことになるから、被告は、これを返還する義務を負わねばならない。
六、かりに、被告が原告の主張する契約上の義務を負うことがないとしても、みぎ契約締結の当時において、三・四に前述したとおり、山崎及び三浦は、なお被告の従業員であつたか、または少くとも前述鉱区及び鉱業所の管理を委託されていたものであるから、被告は、民法第七百十五条の規定により被用者である山崎及び三浦が被告の事業の執行について、詐欺の共同不法行為によつて原告に加えた損害を、使用者の責任として、賠償すべき義務があるものといわねばならない。
七、以上の次第であるから、原告は、五又は六の事由により被告に対し金一万一千八百円、並びに、これに対する、被告に訴状が送達された日の後である昭和十九年三月一日からみぎ完済まで年六分の割合による損害金の支払を求める。
八、被告の当事者能力に関する抗弁については、つぎのとおり主張する。株式会社登記簿上において、被告会社に関する登記事項として、被告の主張するような内容の各記載のなされていること、並びに、被告が登記簿上存在するに至つた経緯が被告の主張するとおりであることは、これを認める。従つて、かりに、被告が法人格を有しないとしても、なお且つ、被告は、第一石油株式会社と称する団体名の規約を備えた社団として、株主と称する訴外六崎市之介ほか二十名の団体構成員を有し、しかも、この構成員の移動に関係なく団体固有の目的を掲げて、昭和十三年十月七日にその名義で石油鉱区を買収してこれを所有し、このときからその目的に従う一切の取引活動をして来たもので、さきには取締役と称する代表者が存し、設立手続上の瑕疵によつて解散決議をしたとき、さらに清算人を選任し、それ以後被告名義で財産を処分し、債権を取り立て、債務を支払う等の清算手続を施行し、本件訴訟行為を除いて、清算事務を結了しているのであるから、少くとも、民事訴訟法第四十六条の規定にいう『法人ニ非サル社団』として当事者能力を有するものである。」
と述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は、本案前の答弁として、
「被告は、登記簿上株式会社として登記されているが、未だ嘗つて定款の作成・株式の引受・株金の支払等株式会社の設立に必要な手続が行われたことがないから、被告は、単に登記簿上にのみ存在するにすぎず、法人格を有しない。従つて、被告は、当事者能力を欠きこれを相手とする原告の本訴は不適法である。
すなわち、株式会社登記簿によると、被告は、以前その商号を常陽鉱業株式会社と称し、金、銀、銅、石炭の採掘、販売、石油の採油その他有利事業に対する投資等を主たる目的として、資本金三百万円、一株の金額金二十円、全額払込済とし、本店を東京都大田区北品川三丁目二十六番地に置き、取締役を市来乙松外三名、監査役を水上金十郎等と定め、昭和十年十二月十一日に設立され、その後昭和十三年五月十五日に本店を同千代田区美土代町二十四番地に移転し、ついで商号を第一石油株式会社と変更した旨、あたかも実在する株式会社であるかのように記載されている。みぎ登記簿の記載は、訴外内村留五郎が株式の売買代金名下に金員を騙取しようと企て、株式会社登記簿謄本を偽造行使して東京区裁判所において同所備附の株式会社登記簿上に常陽鉱業株式会社という会社が実在するような不実の記載をさせた結果によるものである。しかるに、訴外土方五朔らは、みぎの事情を知らないで、登記簿の記載を信じて、昭和十三年六月四日に内村からみぎ会社の株式全部を買収し、その商号を第一石油株式会社と改め、ついで同年十月七日に前述試掘権を訴外佐藤秀男から代金六十五万円で買収し、その事業経営にたずさわつて来た。ところが昭和十四年十月頃になつて、前述の会社設立の仮装に関する不正事実が発覚したので、被告会社の株主らは、昭和十五年十一月三日に、臨時株主総会を開いて、被告会社の解散決議をなし、清算人を選任し、清算手続に入つたのである。みぎのような事情で、被告は、株式会社の設立に必要な設立手続を欠き、単に登記簿上にのみ存在するにすぎないから、法人格を有しないし、清算法人として商法の規定の適用を受けるいわれもない。また、被告の株主らは、第一石油株式会社という法人格を有する団体の株主(構成員)となるべく集合したもので、法人格なき社団としてそれを構成すべく集合したものでないから、被告の構成員(株主)らは人格ない社団を構成しようとする意思を欠く。しかして民事訴訟法第四十六条の規定は、このような社団に訴訟当事者能力を与える趣旨ではない。従つて被告は、当事者能力を欠くというゆえんである」と述べ、
本案につき、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、請求原因に対する答弁として、
「原告の主張事実中、被告が原告主張の鉱区の石油の試掘権を所有し、その本店及び事業所(男鹿鉱業所と称する。)をそれぞれ原告主張の場所に有すること、被告の取締役土方五朔、同土方復丸が原告主張の頃愛知県警察部に公正証書原本不実記載等の嫌疑で検挙されたこと、また被告会社の設立手続に前述のような瑕疵があつたため、昭和十五年十一月三日解散の決議をし、その後清算手続に入つたこと、山崎がもと被告の被用者で中途男鹿鉱業所の所長となつたこと、三浦は、前経営者のときから前述鉱区のことに関係し、これに引き続いて、被告の被用者として、同鉱業所に勤務していたこと、(但し、三浦は、単に技術員として。井戸堀抜き工事及び人夫の監督の任に当つていたにすぎない。)みぎ両名が詐欺罪につき有罪の判決を受けたこと、並びに本件訴状送達の日が昭和十九年三月一日以前であることは認めるが、その余の事実を争う。被告の有する鉱業権は、石油の試掘権であり、被告は、石油の採掘を業とするのみでその販売を業としないし、男鹿鉱業所は鉱業上の事務を取り扱うだけで、石油の販売等を行わない。しかも被告は、解散後事業を継続したことはなく、また原告が被告との間に契約をしたという昭和十七年当時においては、三浦、山崎らは、すでに被告の雇人ではなく、昭和十六年十一月頃同人らを解雇した。また被告は、原告主張のように清算手続を進めることなく無為に日を送つたのでもない。被告は、既に昭和十四年十月頃に自己が登記簿上にのみ存在するにすぎない会社であることを発見したのち、直ちに臨時株主総会を開いた結果、一応事業継続を主眼として整理方善処することに決議したのであるが、前述試掘権の旧所有者であり、被告の株主である佐藤秀男は、被告が法人格のない幽霊会社であることを奇貨として、みぎ試掘権を自己に取り戻すべく、仙台鉱山監督局に新たに同一鉱区に対する試掘願を提出し、これが地域重複を理由として却下されるや、昭和十五年二月頃行政訴訟を、更に同年六月中に被告に対する会社不存在確認の訴を相次いで提起するなどして同鉱業権の獲得をはかつて譲らなかつたため、被告は同年十一月三日解散するのやむなきに至つた。ところで被告としては、前述鉱業権を売却しようとしても、これら訴訟の終結をみるまではこれを他に処分することができなかつたのである。しかしてみぎ訴訟が、昭和十八年五月末に、示談によつて解決した頃はすでに統制が強化され、売却が容易でなくなつていたのである。このようなわけで、被告は、原告の主張するように清算手続を進めることなく、故意にこれを遷延させたわけでは決してない。従つて、
(一) かりに、三浦、山崎が昭和十七年七月頃原告主張のように泥油の売却契約を結び、その契約上の保証金又は代金名義の金員を受領した事実があつたとしても、同人らがその不正行為に対する責任を負うことは格別として、前述のように被告は、清算手続に入り、事業の執行をしておらず、かつ、同人らは当時既に被告と何等雇傭関係がなかつたのであるから、両名の行為の効果を被告に帰属することはできないし、また、同人らの行為によつて、原告が損害を蒙つたとしても、被告がこれを賠償すべきいわれはない。
(二) かりに、解散後被告が三浦に前記鉱区及び鉱業所の管理(山守り)を委任したことがあり、その管理中に同人が前記行為をなしたものとしても、被告は、既に解散していたから、法律上営業の継続は許されないし、事実事業を継続したことはなかつたのであるから、三浦の前記行為について被告がその責を負うべき理由がない。」
と陳述した。<立証省略>
三、理 由
まず、被告の当事者能力の有無について判断する。証人佐藤忍・同土方五朔・同村井主殿の各証言及び被告代表者後藤幸治訊問の結果によれば、被告が株式会社としての定款の作成、株式の募集・引受、株金の払込等株式会社の設立に必要な手続を経ずに、被告の主張するような経過によつて単に登記簿上にだけ株式会社として記載されている存在に過ぎないことが認められるから、かような商業登記簿上の記載は、実体上の原因を欠き、従つて、被告は、法律上株式会社として法人格を取得したことがないものといわなければならない。このことは、被告が後に解散したものとして、株式会社としての清算手続の形式をとつたとしても、これに商法第百十六条の規定を適用すべき限りでないから、なお結論を異にしない。しかし、前挙示の証言によれば、被告は、その主張するような事業目的のために、その組織のうちに株主と称する多数構成員を包含し、第一石油株式会社という団体の名称を有し、石油の採掘事業という、その構成員の生活活動と離れた、団体独自の営利事業を営み、株主と称する団体構成員の脱退加入にかかわらずその個性を持続し来つた団体であつて、解散前は取締役、解散後は清算人という団体の代表者を有することが認められる。この種の団体は、もとより実体法上の存在として法人格を認められないが、前説示のような過程の後に成立したことは、法人でない社団としての存在を認めることの妨げとならないし、このことは、社団が法上の存在であるか否かについての構成員の意思のいかんにかかわりないから、結局被告は法人格は有しないが、代表者の定めある社団として民事訴訟法第四十六条の規定によつて訴訟手続上当事者能力を有するものといわなければならない。従つて、被告の本案前の抗弁は、理由がない。
以下本案について判断する。被告が原告主張の場所に石油鉱区の試掘権を有し、男鹿鉱業所と称する事業所を有したこと、訴外山崎政次が同鉱業所長として、同三浦一二とともに、被告の被用者としてみぎ鉱業所に勤務していたこと、並びに、被告が昭和十五年十一月頃に解散したことは、当事者間に争いがない。そうして、みぎの事実に、成立に争いのない甲第一号証、並びに、証人山崎政次・同三浦一二(ともに、後に説明する信用できない供述部分を除く。)同土方五朔・同佐藤忍の各証言及び原告本人訊問の結果をあわせて考えれば、原告の主張する契約の成立等に関する事情の経過は、つぎのとおりである。すなわち、山崎及び三浦らは、被告の解散後においても、従前に引き続いて、山崎は、同鉱業所長と称し、同所を代表して対外的交渉その他事業経営の全般に、三浦は、山崎の指揮に従い、鉱業所の経理その他の一般事務及び採油の現業監督等のことに当り、少いときでも二、三十人の人夫を使役して、被告の鉱業所の名で採油を続けていた。しかし、被告の解散後のことでもあつて代表者から経営費の支出が得られないので、鉱業所の経理は、主として生産した石油を処分して換金する方法に頼るのほかはなかつたのであるが、こうした稼働状況は、山崎及び三浦両名が詐欺被告事件による捜査を受けた昭和十七年十月頃にまで及んでいた。この間に原告は、みぎのような外観からだけでは、被告の内部事情を知るに由なく、昭和十七年七月中に先ず鉱業所内にあつて執務する三浦に対し、つぎに同人の指示により所長と称する山崎に面接し、毎月泥油三十石づつ買い入れたい旨を申し入れた。しかるに、山崎ら両名は、被告がこれよりさき既に解散して清算手続の段階にあることについて緘黙し、また当時原油一日の採油量は、三斗ないし五斗を出ていないのに、これをはるかに上廻る原告の申込に応ずることができるだけの相当量を生産しているかのように申し向けた。山崎らはよつて原告をして、申込みにかかる泥油を確実に入手できるものと誤信させたか、あるいは、少くとも原告の誤信を利用して、人夫賃の支払その他鉱業所を解散前におけると同様に運営するうえに資金を必要とした折柄でもあるので、これにあてる目的で、履行についての成算のないのにかかわらず、原告との間に、被告の名において、原告の主張する条件による売買契約を締結し、契約保証金又は前渡金名義でその頃二回に、向う約一年分の取引額に相当する金一万一千八百円の交付を受けた。しかるに三浦らは、その後原告に対し近く確実に履行する旨をもつてひたすら猶予を求め、その追及を免れようとする態度に終始するうち、他からも同様の手段で金員を収受していたために、詐欺罪として刑事訴追を受けるに至つたものである。みぎ認定に反する証人三浦一二・同山崎政次の供述部分は、これを信用することができず、以上認定の事実によれば、山崎及び三浦は、相通じて原告を欺き、前示契約を結ぶに至らせたものであり、それは、詐欺による意思表示であるとともに、またみぎ契約に名をかつて金員を収受したことは、まさに不法行為を構成するものと認められる。
つぎに原告は、前項認定の契約は、山崎及び三浦が被告を代理してしたものであり、その効果は、被告に及ぶと主張する。ところで前示のとおり、被告が昭和十五年十一月三日に解散を決議し、清算手続に入つたことは、当事者間に争いがなく、被告は、名を株式会社と称するだけで、解散後も清算中の法人と認めることを得ないがこのことは、法人格のない社団として清算をなしつつあるものと認定することを妨げない。しかし被告は、解散した社団として清算の目的の範囲内で存続するに過ぎないこととなるから、社団としての事業目的に出る通常の業務活動は、適法にこれを為し得ないことが明かである。従つて、証人佐藤忍の証言によつて真正に成立したものと認める乙第一号証、並びに、証人土方五朔、村井主殿の各証言及び被告代表者訊問の結果によれば、被告は、清算段階に入つた後に、一応山崎以下の雇傭関係を解く扱いをしたが、なお直ちに本件試掘権及び現場施設物等を処分できなかつたために、その看守・見廻り等財産保全のための管理を三浦に委託したに過ぎないことが認められる。もつとも、証人佐藤忍の証言によれば、三浦らによる前判示の試掘権の稼働は、前取締役六崎市之介により黙認されていたかに見受けられるが、それは、適法に業務を行うことのできる社団の行為として、適式に代理権を与えたものと認められないから、前示のように、三浦らが被告の代理名義を冐用して原告と通常の取引をしたとしても、その法律上の効果を被告に帰せしめることはできない。そうして、三浦らに被告を代理して通常の業務行為をする権限が全く認められない以上は、その相手方において、一見三浦らの代理権の存在を疑う余地がないと思料したとしても、民法第百十条の規定による表見代理は成立しない。そうして、他に被告に対し三浦らの行為による契約上の責任を主張できるものとするに足る証拠がない。
進んで、原告の予備的主張について判断しよう。被告が清算事務の範囲内において、三浦に対し試掘権等の財産保全のため、鉱区所在の施設等の保管に関する事務を委託したことは、前示のとおりであるから、この点において、少くとも三浦は、社団としての被告の清算事務のための被用者であると認められる。そうして、三浦が山崎とともに被告に属する男鹿鉱業所の事業として、原告との間にその主張のような契約を結び、これによつて原告に損害をこおむらせたことは、前示のとおりであるところ、それは、明かに清算目的に止まる鉱区における施設物保管に関する委託任務の範囲を逸脱するけれども、なお且つ、被告の被用者としての三浦が被告の事業の執行について第三者である原告に損害を加えた場合に該当するものと認めるを相当とする。してみれば、被告は、原告に対しその出金した金一万一千八百円の損害と、あわせて、昭和十九年三月一日(これよりさき、訴状が被告に対し送達されたことは、被告の認めるところである。)からみぎ完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
以上説明したところにより、原告の本訴請求は、その予備的の主張の範囲で正当である。よつて、前項認定の範囲をこえる請求部分を許さないこととし、民事訴訟法第八十九条・第九十二条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 中西彦二郎 西岡悌次 月山桂)
原告 山上勇
被告 新日本窒素肥料株式会社 外一名
一、主 文
被告中谷保三は原告に対し金六万八千四百円及びこれに対する昭和二十七年五月二十四日以降完済に至るまで年五分の割合の金員を支払わねばならない。
被告新日本窒素肥料株式会社に対する原告の請求はこれを棄却する。
訴訟費用のうち原告と被告中谷保三間に生じた部分は被告中谷保三の負担として原告と被告新日本窒素肥料株式会社との間に生じた部分は原告の負担とする。
本判決のうち主文第一項及び第三項の前段は原告において金二万円の担保を供するときは仮りにこれを執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は被告等は連帯して原告に対し金六万八千四百円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合の金員を支払え、訴訟費用は被告等の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
原告は被告新日本窒素肥料株式会社(以下被告会社と略称する)の株式八百株の株主で、うち二百株は株主名簿及び株券(百株券二通)共に原告名義となつて居り、六百株については株主名簿及び株券(百株券六通)の名義は原告の仮設名義である大倉米の名義になつていたところ、昭和二十五年六月六日訴外山上九三郎が他から金融を受けるについてその担保として使用する為めに、右株券八通の貸与を求めたので、原告はこれに応じて株券にはいずれも名宛人白地の裏書をなしこれに株主名義書換の為めの白紙委任状を添えて右百株券八通を同訴外人に交付した。同訴外人は被告中谷保三から借用した金員の担保として右株券八通と白紙委任状を同被告に交付したが、その後右訴外人から同被告に右借金全額の返済があり同訴外人と同被告の間に右株券等の返還期限を昭和二十五年十一月中と約定が為された。然るに同被告は右期限に株券を返還しないのみか、同年十二月五日前記株券八通及び白紙委任状を訴外今西楳太郎に譲渡した。
原告は右譲渡の事実を知るや株主名義の変更を阻止する為めに昭和二十六年一月三十日被告会社に対して改印届をなし、被告会社は右届出を受理した。元来被告会社の定款には株主は会社に対して印鑑届をして置かねばならない旨の規定があつて、右規定は株式名義の書換の際にはその請求書類の印鑑と予て届出られている印鑑とを対照して、その相違ないことを確かめた上で右名義の書換をする趣旨である。右のように被告会社はその定款の規定によつて同会社の株主が不知の間に株主権を喪失することがないように保証しているから、株主名義の書換の際には届出られている印影と右書換に要する書類の印影を対照してその一致した場合でなければ名義書換をしてはならない義務がある。本件の場合には、被告会社は原告の改印届を受理したのであるから、右改印届の後においては株券の裏書及び名義書換委任状等の印影が改印届の印影に一致するのを確かめた上で株主名義の書換えを為すべきであつて、右改印届出前の届出印影によつて右書換をしてはならない義務がある。然るに被告会社は右改印届出後である同年二月二日訴外今西から前記の改印届出前の届出印影のある株券の裏書及び委任状によつて前記八百株の株主名義書換の要求を受けるや、右改印届のあつたことを無視して慢然と株主名簿及び株券の名義を同訴外人名義に書換え、被告会社の株式についての原告の株主権を喪失させた。
原告がこのように被告会社株式八百株の株主権を喪失したのは右に述べた被告中谷の横領行為及び被告会社が原告の改印届を無視した義務違反行為によるのであつて、原告は右株主権の喪失により、株券の時価一株金七十三円百株券八通合計五万八千四百円及び昭和二十六年三月並びに同年九月の会社の配当金合計一万円の損害を受けたので、被告等に対しその共同不法行為を理由として右損害金額及び本訴状送達の日以後の右金額の遅延損害金の支払を求めると述べた。<立証省略>
被告中谷保三は原告の請求棄却の判決を求め、答弁として、原告主張事実のうち、本件の株式の株主が原告であることは否認する。右株式の株主は訴外山上九三郎であるから、原告から本訴請求を受ける理由はない。被告中谷が右訴外山上九三郎に本件の株券八通を担保として金を貸し、その後右貸金全額の返済を受けたことは認めると述べた。<立証省略>
被告会社訴訟代理人は原告の請求棄却の判決を求め、答弁として、
原告主張事実中被告会社の株主名簿に原告は二百株の株主として、大倉米は六百株の株主として記載せられていたこと、昭和二十六年一月三十日被告会社に対し原告及び大倉米から改印届の提出あつたこと、同年二月二日右各名義の株券八通の裏書及び各株券に添付せられた各株主の白紙委任状に基いて被告会社が右八百株について訴外今西楳太郎を取得者として譲渡による株主名義書換手続を完了したことは認めるが、大倉米が原告の仮設名義であること、原告と訴外山上九三郎及び被告中谷保三間の関係は知らない。
被告会社にその株主から改印届のあつた後、右改印届出前の届出印影のある株主名義書換の為めの書類によつて、被告会社に対して右書換の請求があつた場合、被告会社は右書換手続をしてはならない義務がある旨の主張は否認する。記名株式の株主が、白紙裏書のある株券に株主名義書換の為めの白紙委任状を添付してこれを任意に他人に交付した場合は自ら右株券を流通し得る状態に置いたのであつて、右株券及び委任状が善意の第三者に渡つた後に至つて右裏書及び委任を撤回しても右第三者が株式を取得して株主となることを阻止出来ないものである。株主が右のような白紙委任状付の株券を任意に他人に交付した後に、会社に対して改印届を提出するのは右の裏書及び委任の撤回であつて、右株券及び委任状を取得した善意の第三者は直ちに株式を取得するから、会社が右正当な株式取得者の要求によつて同人に株主名義書換手続をするのは、前株主から改印届出後であつても適法な行為であつて、前株主に対して不法行為とならない。殊に本件においては、原告の主張によれば訴外今西楳太郎が本件の株券及び委任状の譲渡を受けたのは原告が被告会社に改印届をした昭和二十六年一月三十日より以前の昭和二十五年十二月五日であるから、右原告の改印届の当時は右訴外人は株式を取得しているので、改印届は株式の権利の帰属に何等の消長を及ぼさないものである。従つて被告会社が右訴外人の請求によつて、原告の改印届出後に株主名義の書換手続をしても、右手続は原告の権利の消長に関係なく、原告に対する不法行為とならない。
元来株券及び株主名簿の株主名義は株式の得喪とは別であつて、株式の取得者でない者が株券及び株主名簿上の名義人になつても、その者がその株式の株主となることなく、実質的に株主である者は株式の取得後未だ右名義書換手続を経ていなくても、またかつて自己の名義になつていた名義が他人名義に書換えられていてもその株主である地位を失うものでないから、本件の場合訴外今西が善意無過失に株式を取得していないとすれば、原告は現在本件株式の株主であつて、株主権に基いて右訴外人に対し株券の返還株主名義書換手続及び不当利得による配当額の返還を求める請求権があり、被告会社の株主名義書換手続によつて少しも損失を受けていない。また訴外今西が善意無過失に株式を取得しているとすれば、それは被告会社が同訴外人に株主名義を書換えたからではなく、被告中谷の株券及び白紙委任状交付行為及び同訴外人が右交付を受けた際の事情によるのであるから、此の場合も原告は被告会社の名義書換手続によつて少しも損失を受けていない。いずれにせよ被告会社の名義書換手続は原告に対する不法行為とならないと述べた。<立証省略>
三、理 由
先ず被告中谷に対する原告の請求について判断するに、同被告の争わない原告主張の事実と成立に争のない甲第一号証及び証人山上九三郎の証言を綜合すれば、原告は本件の株式八百株の株主であつて、右株式について株主名簿並びに株券に表示された株主の名義は原告の主張の通りであつたこと、及び、原告主張の日に、原告は訴外山上九三郎に対して、同訴外人が他から金融を受けるための担保として、右株式の株券八通を貸与することになり、いずれも白地裏書をした上でそれぞれ名義書換の白紙委任状を添付して右訴外人に交付したところ、右訴外人は右株券並びに白紙委任状を被告中谷に担保として差入れ、同被告から金融を受けたが、その後、右訴外人から被告中谷に右借金全額の完済があつたので、同被告は右訴外人に対して右株券並びに白紙委任状を速かに返還しなければならない関係にあつたにかかわらず、これを同訴外人に返還しないで、却つて訴外今西楳太郎に譲渡した為めに、同訴外人は右株券並びに白紙委任状を用いて被告会社において同訴外人名義に本件株式八百株の株主名義書換手続を終つたことを認めることができる。右事実関係において、被告中谷は株券及び白紙委任状を訴外山上九三郎に返還すべき義務があるにかかわらず、これを擅に訴外今西に譲渡横領し、右横領行為によつて株式所有者である原告の権利を侵害したものであつて、同被告が右株式所有者が原告であることを知つていたと否とにかかわらず、同被告の前記譲渡行為は原告に対する不法行為となること明瞭であつて、原告は被告中谷に対して同被告の右不法行為によつて原告の蒙つた損害の賠償を請求することができる。
原告は一方において訴外今西は本件の株券及び白紙委任状の悪意の取得者又は重過失ある取得者であるから株式を取得せず、従つて原告は現在も右株式の株主たる地位を喪失していないと主張しながら、他方において被告中谷に対して株主たる地位を失つた場合と同様に株式価額全額及び配当金相当の損害の賠償を請求しているので、株式の所有関係が原告主張の通りである場合に原告の右損害賠償請求が果して許されるかどうか一応判断を要する。(この点は被告中谷は争うていないが、被告会社はこのような株式所有関係の際は原告の損害は未だ発生していないから、このような未発生の損害の賠償を請求することはできないとして強く争つている。)一般に動産の不法領得行為はその占有者から占有を奪い又はその占有を有する権限のある者が占有を回復するのを困難にするに止り、その行為自体によつてその所有権者の所有権を喪失させる効果をもつものでないから、観念的には所有権の侵害行為ではあるけれども所有権の剥奪行為ではない。しかしながら、右不法領得者がその占有を他に譲渡する等自らその占有を保持していない状態に至つたときは、動産の占有とその所有権の性質から(例えば民法第百八十六条、第百八十八条、第百九十六条、第百九十四条)所有権者は既にその権利を喪失しているか又はその権利を喪失する著しい危険に直面しているのであつて、実質的には所有権を喪失したも同様である。法律的には不法領得品の占有者は無過失取得の立証責任があるので厳格な意味で所有権者の推定を受けるものではないが、不法領得者がその不法領得行為とその不法領得品の処分行為によつて、所有権者の所有権を喪失させたと推定することは前記の実質的な法律状態に適合するばかりでなく、動産に関する法律の規定の趣旨に添うものである。換言すれば不法領得行為の被害者は被害品の占有を現実に回復するまでは、不法領得者の領得行為と処分行為によつて被害品の所有権を喪失したと推定されるから、不法領得者は被害者がその占有を現実に回復していることを立証しない限り、被害者が法律上占有を回復する権限のあることを理由として、被害者がその所有権を失つたものとして損害賠償請求するのを拒むことはできない。即ち被害者は被害品の現占有者に対して所有権に基く占有引渡の請求ができる場合においても不法領得行為者に対して所有権喪失による損害賠償請求権は矛盾することなく同時に行使することができる。ただ所有者が現実に被害品の占有を回復した場合には損害賠償請求額を減額し又は受領した賠償額のうちから不当利得額を返還しなければならない関係にあるにすぎない。以上の動産に関する法則は動産に準じた取扱を受ける白紙委任状の株券についてもそのまま適用される。本件においては現在本件株式の株主名義が訴外今西となつていることは前認定の通りであるから、原告が右訴外人は株式所有者でなく現在においても自己が株式所有者であると主張していても、その主張は原告が被告中谷に対して同被告の不法行為によつて株式を喪失した場合の損害を受けたとしてその賠償を請求することを妨げるものではない。(このことは原告が自己の訴外山上九三郎に対する株券返還請求権に基いて同訴外人の被告中谷に対する株券返還請求権を代位行使し、同被告が返還不能である場合に同被告に対して右返還にかえて株式喪失の場合の損害賠償請求をした場合と比較すれば、不法行為を理由とする損害賠償請求であるからと云つて契約上の義務不履行による損害賠償請求より不利益な取扱を受ける筈がないことからも容易に理解できる。)
右のような理由で、被告中谷は原告が本件株式の所有権を喪失したことによつて受けた全損害を賠償する義務があるところ、右損害の数額は同被告に本件の株券及び白紙委任状を訴外山上九三郎に返還しなければならない義務が生じた時から現在に至るまでの間に、原告が右株式八百株を他に売却して得ることのできた筈であつた株式代金額と右義務発生の時から右売却の時までの間に原告が受取ることのできる筈であつた株式の配当金額に相当すること明らかであつて原告は右売却することのできた筈であつた時を前示義務発生の時から現在までの間の相当な時に指定できる理である。しかして原告が損害賠償請求額に対して本訴状送達の翌日から遅延損害金を請求している趣旨に徴すれば、原告は右売却することができた筈の時を本訴提起当時に選定したと認められるところ、当時本件株式の価格が一株金七十三円であつて、前記返還義務発生の時から当時までの間に右株式八百株に対して二回に亘り金一万円の配当があつたことは被告中谷の争わないところであるから(このことは新聞紙所載の株式価格によつても明瞭である。)被告中谷に対し右一株金七十三円の割合による八百株の代金に相当する金五万八千四百円と配当金一万円の合計金六万八千四百円の損害の賠償と、右金額に対する本訴状送達の日の翌日である昭和二十七年五月二十四日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の請求は全部相当である。
次に被告会社に対する原告の請求について判断するに原告の主張事実のうち被告会社の争わない事実と前掲の甲第一号証及び証人山上九三郎の証言を綜合すれば先に被告中谷に対する請求についての判断中において認定した通りの本件株式の株主名義並びに株式所有関係及び右株式の株券八通並びにこれに添付された白紙委任状が訴外今西楳太郎の占有に帰するまでの経過を認定することができる。しかして原告主張の日に原告並びに右認定によれば原告の仮設名義である大倉米から被告会社に改印届のあつたこと及び右改印届のあつた後原告主張の日に前記訴外今西から前認定の白地裏書のある株券と白紙委任状に基いて被告会社に対して右各株式の株主名義書換の請求があり、右各白地裏書及び白紙委任状には、いずれも前記の改印届前に被告会社に届出られた株式名義人の印影と同一の印影があつて、改印せられた印影と異るものであつたけれども、被告会社は右訴外人の請求に応じて右訴外人名義に前記各株式の株主名義書換手続を終つたことは当事者間に争がない。一般に株主名義の書換は旧株主名義人が株主としての権利を行使することを不可能にし、且つその株式の所有権を喪失したことを一応推定させるものであるから、不法に株主名義の書換をする行為は株式名義人に対する不法行為であつて、株式名義人のこれによつて受ける損害は一応株式喪失の場合の損害と推定せられることは先に被告中谷に対する請求の判断中で説明した白紙委任状附株券の不法領得者に対する損害賠償請求権の範囲と同様である。即ち旧株式名義人が右名義書換前に既に株式所有権を喪失しているときは名義書換は本来旧株式名義人に対する不法行為にならないけれども、旧株式名義人が未だ株式を所有しているにかかわらず、不法に右名義の書換をした場合には、旧株式名義人が名義の書戻及び株券の占有の回復又は新株券の失権手続等によつて株主としての権利を完全に回復することのできる権限があり且つそれが可能であつても、現実に右回復をすることができるまでは不法書換に加担した者に株式喪失の場合の損害を請求できるのである。従つて被告会社の主張するように旧株主名義人は株主名義の書換によつて株主たる地位を喪失するものでなく、なお株式所有者であれば名義の書戻、株券の占有の回復不当利得の返還その他の請求権を行使すれば損害を受ける筈がないから、不法名義書換を理由とする損害賠償請求は、名義書換が不法であるか否かを判断するまでもなく、損害がなかつた場合として常に失当である旨の説は採用できない。
よつて本件の場合は株式会社に対してその会社の株式の株主名義人から改印届のあつた場合、右改印届後に会社が右改印届前に会社に届出てあつた株主名義人の印影と同一の印影のある株券の裏書及び名義書換の委任状によつて名義書換をする行為が、右旧株主名義人に対し不法行為となるかどうかが問題となる。此の点については概念的な表現を用うれば、株式会社はその株主の名義書換事務を処理するについて善良な管理者の注意義務を負担している。この注意義務に違反して名義書換事務を処理すれば、不法行為又は注意義務違反行為として損害賠償義務を負担する。即ち右注意義務に違反して名義書換をすれば旧株主名義人に対する不法な権利侵害行為となり、また右注意義務に違反して名義書換を拒絶すれば株式の新取得者に対する不法な権利侵害の責に任じなければならない。具体的に云えば、株式の実質上の権利者はその株式の発行会社に対して株主名簿及び株券上の株主名義を自己の名義に書換えることを請求する権利があるのであるから、株式会社としては株式の実質上の権利者と信ずるに足る者から株主名義書換の請求があつた場合にはこれに応じなければならない義務があり、実質上の株式取得者と信ずるに足りない者から名義書換の請求があつたときはこれを拒絶しなければならない義務がある。そして株式の実質上の取得者と信ずるに足りるか否かは株式会社の株主名義書換の際における株式所有関係についての調査能力の限度に徴し株式会社としては書類の形式と商法の規定上から判断すれば十分であつて、これによつて名義書換事務の処理について善良な管理者の注意義務を完全に履行したことになり、名義書換に必要な書類上に表明せられない株式取得に要する要件について調査する義務はない。即ち株式会社に対して裏書のある株券と名義書換の委任状を提出して株主名義書換を請求する者があつたときは会社は右裏書及び委任状の印鑑が会社に予め届出られた株主名義人の印影と一致するかどうか確かめた上で一致したときは名義書換をなし、一致しなければこれを拒絶すればよいのであつて右書換請求者が右株券及び委任状の善意無過失の取得者であるかどうかを調査する必要はない。本件のように改印届のあつた場合について考えるに、元来、白地裏書のある株券に名義書換の白紙委任状を添えて他人に交付した者が右裏書及び委任を取消しても、かかる取消は、右株券及び委任状を善意無過失に取得した者及び右取得者から譲渡を受けた者に対しては、右取得の時期が取消の前であると後であるとを問わず、その者が株式を取得するのを阻止する効力はない。株主が白地裏書をした株券に白紙委任状を添えて他に交付した後に、その株式の発行会社に改印届をして株式所有権の移転の阻止を企てるのは、右に述べた裏書及び委任を取消す場合と全く同一であつて白紙委任状付の株券の譲渡を受けるものは一々株券発行会社に赴いて改印届の有無を調査する義務等勿論ないから善意無過失の株券取得者が株式を取得するのを阻止する効果を生むものではない。そして株券発行会社は先に述べたように株主名義書換に際して書換請求者が株券等の善意無過失の取得者であるか否かを調査すべきものではないから、会社に改印届のあつた後、右届前の旧印鑑による株券の裏書及び白紙委任状に基いて株主名義書換の請求があつたときは、右請求者は通常の事情では株式の実質的取得者であるから会社は名義書換手続を履行するのが前述の会社の義務に忠実な所以であつて改印届の故にこれを拒絶する権利はない。なるほど株式会社の定款には殆ど例外なく株主の印鑑届出義務を規定している。しかしこれは当初に届出た印鑑に右のような重大な効力を認むる根拠とこそなれ、改印届によつて新に届出られた印鑑に旧印鑑による取引阻止の効力を認むる根拠になるものではない。改印届に対して旧印鑑による株式取引を阻止する効力を認めよとの原告の主張は改印届に株券の失権手続にも増す効力を与えようとするものであつて取引の一般的安全を無視して自分の都合ばかりを考えた採るに足りない主張である。本件の場合訴外今西楳太郎が株主名義書換を請求するに当つて被告会社に提出した株券の裏書及び名義書換の委任状には、原告が改印届をする前に会社に届出られていた株式名義人の印影と一致する印影のあつたことは原告の自ら主張するところであるから、被告会社が右訴外人を株式の実質的な取得者と信ずるに足る要件が十分具わつていたのであつて、被告会社が右名義書換の請求に応じてその手続をしたことは被告会社が当然果さなければならない義務を履行したまでであつて、原告に対して前述の注意義務違反その他故意過失による権利侵害行為となるものではない。故に被告会社の右名義書換行為がかかる義務違反又は故意過失によるものであることを前提とする原告の被告会社に対する請求は全部失当である。
よつて被告中谷に対する原告の請求を全部認容し、被告会社に対する原告の請求を全部棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条仮執行の宣言について同法第百九十六条を適用し主文の通り判決する。
(裁判官 長瀬清澄)